美術の祭典 東京展 TOKYOTEN
■東京展案内 ■作品募集 ■会員名簿 ■リンク ■HOME
2009東京展主催シンポジウム  
2009年東京展シンポジウムを終えて
9月22日東京都美術館講堂に於いて5回目のシンポジウムが「東京展は何処から来て何処へ行くのか」と題して催された。本年の東京展は第35回展の節目の展覧会であり、それに合わせ、企画も運営委員会にて色々検討されてきた。最終的に東京展の原点をもう一度見直し、その精神を今後の東京展に引き継ぐ為として、今回のシンポジウムになった。

若い世代に於いては東京展発足の経緯や、その後の動向を知らない人達が多く、今回このシンポジウムに参加された方々は、第1回東京展の歴史的な意味、美術界に与えた衝撃等、改めて認識したのではないだろうか。この第1回東京展に参加した作家群は物故作家を含め在野系の名だたる作家、美術評論家が参加し、演劇、パフォーマンス、漫画、絵本等ジャンルを超えて集い、大成功裏に終えた。この事は確実に日本の美術史に刻まれているはずだ。そこで記録という意味から、今回のシンポジウムでは、現代美術資料センターの笹木繁男氏、東京展の発足時から事務局に入り実務を担当した造形作家の笹岡勇氏、美術評論家の重鎮である安井収蔵氏をパネラーとして招き、司会は美術評論家の赤津侃氏にお願いする事となった。笹木氏は東京展発足の実質的な推進者である故中村正義の話しから切り込み、安井氏は当時の社会状況を鑑み全体的な観点から東京展に切り込んでいった。笹岡氏からはやはり実務的な資金繰りの話し、内部の作家達の動向、美術評論家諸氏の動き等が聞かれた。
今回我々が目指したシンポジウムの狙いは、回顧的に発足時の東京展を懐かしんだり、凄かったんだと自己満足的に感嘆することではない。前述にもある様に、このシンポジウムを催すことにより、その時々に表出している時代精神を引き継ぐことにある。今回学んだ事は、時代の社会的背景、政治的背景、作家達の団体展に対する意識、そして官に対して在野の反骨精神であった。現在、若い世代の団体展離れ、「集う」という事の本質的な意味合いの拡散状況、経済的な疲弊状況、虚無的な世界観、そのような時代状況の中で他の団体を含め東京展はどうするのかという事である。「集う」という事と、「群れる」事とは本質的に違う。作家は基本的には「個」であり、群れることを嫌う。現在の東京展には群れによって興るボスから始まるヒエラルキーなどない。そういう意味含いからすれば「集う」を持ちえている数少ない団体展と見てよい。
安井氏からは今後の東京展としては祭りという意味合いがもっとあっても良いのではないかとの示唆があった。あまりにもエポックでありえた第1回展。しかし目を良く凝らして見ると、今、時代が大きく動く予兆はある。アメリカ:オバマ氏の台頭、日本:民主党の台頭しかり。時代はオパマ氏の言葉を借りれば、「変革」を求めているのだ。これは日本の団体展にも言えることだ。その意味で東京展が更に大き<発展するチャンスでもあるわけだ。
会場には、美術評論家:本江邦夫氏、林紀一郎氏の顔も見られた。ここ10年の東京展を振返っても最近数年の美術評論家諸氏の東京展に対する注目度は高い。他の美術団体のシンポジウムなども東京展のシンポジウム、企画展を見て追随している感がある。
今後東京展の課題として、シンポジウムを含め、本体としての絵画、立体、版画、イラスト、等の更なる次元の高い作品群が求められるのは必須である。来年再来年は都美術館改修工事でここを使用する事は出来ないが3年後の新生都美術館では東京展が本来持っている、「集う」という意味合いの何か新しい視点による展覧会を会員一丸となって催したいと今回のシンポジウムから感じ取った次第である。


お問合せ お問合せ
Copyright 2002 ©TOKYOTEN All Rights Reserved.